ART

連載エコゾフィック・フューチャー

Ecosophic Future 17

All things in nature

森羅万象の只中で——コミュニケーション、知性、ネットワーク

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札幌の初雪(2023年11月11日)撮影:小室治夫

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キュレーターで批評家の四方幸子が、未来の社会を開くインフラとしての〈アート〉の可能性を探る連載「エコゾフィック・フューチャー」の最終回では、連載を通して問いかけてきた、近代以前に日本で培われてきた叡智を掘り下げること、そこで得たものを、科学・技術や社会に浸潤させていくことの必要とその試みをあらためて見つめる。

text by Yukiko Shikata

11月11日の朝、札幌の友人から届いた初雪の写真。屋根にまばらに降りかかった白が美しい。それから10日あまり。東京の初雪はまだ遠そうだけれど、虫の音も消え、初冬に向かう空気をかみしめる。同じ人が以前教えてくれた、様似地方のアイヌの言葉「シカタクイクイ」 を思い出す。東の風、そして東風に乗った雪が舞うように降って松の枝に積もり、枝がたわんで雪が落ちる様子を意味するという。風に誘われて降った雪が、その重みで落ちていく……事象の連なりに詩的なものを感じ、歌や踊りを見ると、反復される音やリズムによって、循環を繰り返す森羅万象の世界に誘われていく*1

雲、そして世界

武蔵野美術大学にて(2023年10月20日) 撮影:広沢葵

 

世界のあらゆるものは、流動し変容しつづけている。ヘルマン・ヘッセは、雲を見るのが何よりも好きだったという。私も雲の動きを見ていると、時間を忘れてしまう。気象に応じてマクロ、ミクロのスケールで流れや渦が発生し、相互に関係しながらうごめいている。不可視の現象は、ある臨界点を超えると可視的になり、次第に分散して再び見えなくなっていく……。

雲は、上空を浮遊する動的な水のノードと言える。雲を見上げながら、あぁこれらの雲は、これまで何度も大地にとどまり、海や川の一部となり、動植物や人間の身体を潤しながら循環してきた水なのだと思う。

大気の変動に応じて現れ変化しつづける雲を、世界で生起しているあらゆる現象の縮図と見なすことはできないだろうか。その上で世界そのものを、さまざまな事物がインタラクションする現象の連続として捉えることができるのではないか。私たちが今生きている世界だけでなく、宇宙の中で地球が生まれ、海や大地が生まれ、諸々の存在が生まれて変転し、時には消滅しながら今後も続いていく悠久のプロセスの中で……。

コミュニケーションとしての世界

たとえば、世界で起きていること—これまでもこれからも—の総体を、コミュニケーションと見なすとどうだろうか。

「コミュニケーション」は一般的には、人間による言語や映像、音声ベースものと捉えられがちだが、実は人間以外の存在や知覚できない多様なものとの間でも生じている。動物に加えて植物や微生物、ひいては無生物—石などの自然物や本や絵画、道具、デジタルデータなどの人工物—に接することも、広義のコミュニケーションといえる(双方向的でなくても、受け取ったり使う側に何らかの影響が生じたりしたものが、いつか新たな形で発信されることでコミュニケーションが派生していく)。私たちそれぞれは、瞬時瞬時にさまざまな情報に出会い、それらを解釈し反応するというコミュニケーションの連鎖の中にいる。

加えて、私たちの身体もコミュニケーション・メディアだといえないだろうか。

一つめに、遺伝子が祖先から受け継いできたコードであること。二つめに、生まれる前や生後の体験が、私たちの記憶や身体に意識・無意識的に刻み込まれているであろうこと。三つめに、身体内では、その状態や機能を一定に維持するホメオスターシス作用が常に稼働しつづけていること。四つめに、生きていること—呼吸し食べて排泄し、皮膚も含めて成分を内外でやり取りすること—自体が、コミュニケーションともいえるのではないか。その上で、私たちが実空間やオンラインで日々行う行動は、情報の受容と発信の連続としてあり、新たな情報やフィードバックを生産しつづける。私たちはコミュニケーション・メディアであり、同時にその只中にいる。

知性とは、テクノロジーとは?

情報とは、差異を生み出す差異である。——グレゴリー・ベイトソン(『精神の生態学』、1972)

情報の定義については、生態学者ベイトソンのこの言葉を反芻する。「差異を生み出す差異」という定義は、同語反復的で雲をつかむような感触だが、ダイナミックで創発的なプロセスを意味している。ベイトソンは、精神というものを、生成的な情報の連鎖によって人間以外のものへと拡張していくものと見ていた。同時代にはコンウェイの「ライフゲーム」(1970)が、コンピュータ上で情報が組織化するシミュレーションを見せていた。そしてその後のコンピュータの進化や90年代以降のインターネットの発達によって、シンプルな単体同士のインタラクションからボトムアップに「知性」が浮上することが確認される。

 

グレゴリー・ベイトソン『精神の生態学へ(上・中・下)』(岩波文庫、訳=佐藤良明 / 2023)

 

知能は、単一の頭脳に限られるものではない。それは、昆虫のコロニーや人間社会の社会的・経済的行動、科学者や専門家のコミュニティなどにも集団として現れる。(略)記号処理ができる多数のエージェントが互いに相互作用するとき、彼らの全体的な行動のなかに、新しい普遍的な規則性が現れる。——ベルナルド・ヒューバーマン(「社会的知性」(1995)/『スマートモブス』、2002)

 

Photo by Albert Beukhof / Shutterstock.com

 

昆虫のコロニーや鳥の群れが一つの生命体のように見える現象は、80年代以降のコンピュータ・シミュレーションによって解明されてきたが、同様の現象は社会においても出現する。これらはいずれも記号処理を通じたコミュニケーションとしてあり、生起する組織的な現象が「知性」と見なされる。それは人間を知性や意志を持ち行動する唯一の存在、とする近代的な世界観のほつれを意味する。インターネットを介して人に加えてさまざまなものや情報がつながった現在において、私たちの日々の行動は、集団であれ個人であれ、それが可能となる環境や情報に応じて行われている。そこでは膨大な情報のフィードバックが作動し、私たちの意志や行動を左右している。

考えてみれば、人類は誕生以来、環境や情報に応じた行動をとってきた。人類以外においても同じである。しかし現在の電子化された情報環境においてあらためて私たちは、自らの知性やアイデンティティが環境とのインタラクションによって動的に変化しつづけていることを実感する。

人類は立ち上がることで両手の自由を獲得し、言語を発達させ、文字や道具やテクノロジーを発達させてきた。そして文字や図像を記録することで、抽象的で俯瞰的な思考や省察が生み出された。しかしとりわけ近代以降に起きたテクノロジーの加速化が、地球規模の環境汚染や大規模な災害や戦争を生み出している。思えばテクノロジーは、人間の利便を目的として人間によって開発されてきた。「人新世」という概念が定着し、地球温暖化から「沸騰化」と言われ始めた今夏を経て、人間中心主義から脱して、人間以外の知性や叡智に目を向けることがますます重要になっている。テクノロジーも、人間と非人間との循環を促すものへとシフトしていく時期だろう。

そのためには、哲学や倫理からのまなざしが必要であり、科学・技術と連携しつつ作品やプロジェクトを介して人々に問いを投げかけるアートの創造力が、今まさに求められている。

人間以外のものとの作品

2010年代以降、「森は考える」(エドゥアルド・コーン)や「多自然主義」(エドゥアルド・ヴィヴェイロス・デ・カストロ)などに代表される「モア・ザン・ヒューマン(人間を超える)」という概念が、文化人類学を筆頭に領域横断的に検討されている。それに先行してメディアアートでは、1990年代以降、人間以外のものとの接続や協働による作品が数多く生み出されてきた。ここではとりわけ植物や森とのコミュニケーションという側面から、いくつかの作品を紹介したい。

 

クリスタ・ソムラー+ロラン・ミニョノー《インタラクティブ・プラント・グローイング》(1992)“Interactive Plant Growing” © 1992, Christa Sommerer & Laurent Mignonneau at Zeitschnitt ’92 Aktuelle Kunst aus Österreich, Institut Français, Vienna

 

クリスタ・ソムラー+ロラン・ミニョノーの《インタラクティブ・プラント・グローイング》(1992)は、植物がインターフェイスとなり、体験者が触れることでヴァーチャル空間内の植物が成長や突然変異を起こしていくインタラクティブ作品である。リアルタイムで変化する植物の生体電位がコンピュータに送られ、リアルタイムで人と植物が結ばれることで、体験者はふだん知覚できない植物とのコミュニケーションを自覚することになる。

坂本龍一は、2007年に一般社団法人more trees(モア・トゥリーズ)を設立し、樹木を守る運動を行なってきた。その端緒の一つには、ドイツのアーティスト、ヨーゼフ・ボイスが80年代に展開した植樹プロジェクト「7000本のオーク」も念頭にあっただろう。坂本は惜しむべく今春に逝去してしまったが、その直前まで神宮外苑の樹木伐採への抗議をつづけていた*2

 

坂本龍一+YCAM InterLab《フォレスト・シンフォニー in モエレ沼》(2014) モエレ沼公園、札幌国際芸術祭2014 撮影:木奥恵三

 

00年代後半から主にコラボレーションで手がけたメディアアート作品に、坂本は水や木など自然物を取り入れていたが、生きた木を扱ったものにYCAM InterLab*3と連名で発表された《フォレスト・シンフォニー》(2013)がある(私は翌年の札幌国際芸術祭2014において、札幌のモエレ沼公園での新たなバージョンをキュレーションした)*4。国内外の複数の木にセンサーを付け、取得した生体電位を音に変換し会場で流すもので、来場者は自由に移動しながら、それぞれの木から、そして複数の木からの音が融合する世界を体験できる。木から発信されたメッセージを音として受け取る来場者は、その木が生きる環境を想像し、ひいては地球環境へと思いを馳せることになるだろう。

三原聡一郎は、2011年の東日本大震災以降に取り組んだ「空白のプロジェクト」シリーズの#4として、鳥の鳴き声に似た音を発する装置(木とネジとモーターで構成)を対馬の森で稼働させた(《想像上の修辞法》、2016)。その音は、鳥や他の生き物たち、そして人間にどのように受容されたのだろうか。

 

三原聡一郎《想像上の修辞法》(2016) 対馬アートファンタジア、対馬 撮影:山本糾

 

もし(鳥が)生物学的なメリットの無い何かに興味を惹かれたとしたら、それは芸術概念に通じるような気がしている。——三原聡一郎 *5

鳥がさえずり返すことがあったというが—反射行動なのか、同類と見なしたからなのか—装置を介した非人間とのコミュニケーション回路が開かれたようである。

松澤宥と木、「生物と無生物に」向けた作品

私がアートコモンズ「対話と創造の森」(長野県茅野市)で関わっている諏訪地域では、7年毎に御柱祭(おんばしらさい)が行われている。4社ある諏訪大社の各社で4本の御柱を差し替えるもので、所定の山で苗木から守り育てられ、約20mに成長した巨木が切り出される(御柱祭は、氏子が山から木を運ぶ勇壮な行事でも知られる)。天に向かって屹立する御柱は、精霊が降りるアンテナのようにも見える。

 

諏訪大社前宮の御柱(2022年5月) 撮影:新野圭二郎 2022年の御柱祭で新たに建てられた御柱

 

この地域は、2本の大断層—フォッサマグナの糸魚川-静岡構造線(南北)と中央構造帯(東西)—が諏訪湖の下で交差するという稀に見る地質学的特徴を持ち、縄文中期の文化が栄え、神道や仏教流入以前から「ミシャグジ」と呼ばれる精霊信仰が根差し、今も息づいている。

この地の自然や精神性を受け継ぎながら、国内外で活動したアーティストに松澤宥(まつざわ ゆたか)(1922-2006)がいる。1922年2月22日午前2時に諏訪湖畔の下諏訪町に生まれ、昨年の生誕100年には地元や長野県立美術館(長野市)で記念展やイベントが開催された*6

1950年代初頭に活動を開始した松澤は、1964年6月1日に「オブジェを消せ!」という突然の啓示を受け、その後は文字や言語を中心とした「観念芸術」へと移行する)*7

同年12月の「荒野におけるアンデパンダン展 ’64」は、募集告知を読んだ者を別世界へと誘う不可思議なものだった。主催者は虚空間状況探知センター、会場が長野県七島八島高原の「ツンドラ地帯」で、出品物は手元に置き「それから発する無形のもの(虚の作品)を会場まで届けてください」というのである。想像力の極北へ攫(さら)うような謎めいた文章は、松澤にとってのリアル—現実と想念、芸術と自然が交差する—だったのかもしれない。

 

松澤宥「荒野におけるアンデパンダン展 ’64」(1964)広告(『美術ジャーナル』No.51)

 

木については、近年発見された松澤のメモに、自分が自宅の庭の白キバチの木から生まれた、と書かれていたという*8。1975年のポーランドでの個展では、自室に居ながら自身が山奥で(御柱と思われる)巨木を伐採する場面を見るという分裂した状態とともに、命を絶たれる木の絶叫を記した文が、御柱祭の写真とともに展示されている。松澤にとって御柱や木は、大地と天をつなぐ重要なインターフェイスであり、精霊が降りてくる宿木であり、対象であると同時に分身でもあったのだろう。

「人間以外に見せる」という作品のあり方は、人新世の自覚とともに近年共有されつつあるが、松澤は60年代から行っていた。1966年の「消滅の幟(のぼり)」は、「人類よ消滅しよう。ギャティ ギャティ*9 反文明委員会」*10と手書きされた約20mのピンクの幟で、「湖や岩にも木にも天にも鳥獣にも」「音楽にも自己増殖機械にも」見せるためのものだという。また同年には、文字で構成し、関係者に郵送する「ハガキ絵画」を開始、1967年には《全ての生物および無生物のための白紙絵画》《湖に見せる根本絵画展》《絵に見られる松澤宥個展》というタイトルの作品が発表されている。

 

松澤宥 パフォーマンス<消滅の幟>(1984)「Furk’Art’84」フルカ峠、スイス 撮影:大住建 メディア画廊(ニューシャテル、スイス)が企画し、標高2429mのフルカ峠で行われた。「Furk’Art’84」には、ヨーゼフ・ボイスも参加

松澤宥《湖に見せる根本絵画展》(1967)

 

70年代前半には、八ヶ岳麓の森に「泉水入(せんすいいり)瞑想台」という場を作り、アーティストらによる共同体的な活動を展開、関係者が諏訪を訪れ活発な交流が行われた時期である。80年代末には、「量子芸術宣言」*11とともに、文字を中心とした個人活動に戻って行く。諏訪の自然や精神に抱かれながら、松澤がいち早く実践していた人間以外のものとのコミュニケーションは、私たちに語りかけてやまない。

 

松澤宥 泉水入瞑想台(1971) 撮影:高村ムカタ

 

アムステルダム・フォドー美術館での松澤と「消滅の幟」(1990) 1990年9月にヨーゼフ・ボイスの追悼も込めてアムステルダムの市立美術館で開催された5日間のシンポジウム「Art meet Science and Spirituality in a changing Economy(AmSSE)」枠の展覧会に招聘された時のもの。一番右がAmSSEの実現を担ったラウリン・ウェイヤース(Ecosophic Future 04参照

森のネットワーク

松澤宥にとっての森は、美しく豊かな生態系であるともに、アニミズム的な世界として自身と深くつながっていた。泉水入瞑想台は、人々が非人間と交歓するアナーキーな場であっただろう。

森が複雑な生態系を形成していることは、以前から指摘されてきた。それぞれの木は、地中に根を張り、同時に空や周囲に向かって枝が伸びつづける。太陽や雨風を受けながら成長し、地中から水や養分を得て、また微生物や菌類などの存在を介して周囲の木々とネットワークを張り巡らしコミュニケーションを形成している。幹は年輪を重ねるが、そこには木が体験した環境変化が履歴として刻印される)。植物や虫や微生物も含め、多種多様な生物寄生を許容し、これらとのインタラクションも含め、存在を形成している。

森林生態学者のスザンヌ・シマードは、何百という実験を通して、木々が「互いに網の目のような相互依存関係のなかに存在し、地下に広がるシステムを通じてつながり合っている」ことを発見した。木々が、地中に張り巡らされた菌類のネットワークを通じて交わし合っているメッセージ、その中で最も大きく古い木が、母なる木として菌同士のつながりの源となっているという。

森のネットワークでは、古いものと若いものが、化学信号を発することによって互いを認識し、情報をやり取りし、反応し合っている。それは私たち人間の神経伝達物質と同じ化学物質であり、イオンがつくる信号が菌類の被膜を通して伝わるのである。——スザンヌ・シマード(『マザーツリー 森に隠された「知性」をめぐる冒険』ダイヤモンド社、訳=三木直子 / 2023)

 

スザンヌ・シマード『マザーツリー 森に隠された「知性」をめぐる冒険』(ダイヤモンド社、訳=三木直子 / 2023)

 

可視的な、枝を伸ばし空に向かう木の姿と共に、それを支える根幹としての地中に形成された緊密なネットワーク。それが菌を介したものであり、菌もそれによって生かされているのだろう。

森は、同種のものや異なるものによる物質や非物質を超えた相互依存的な循環を生み出しつづけている。

テクノロジーの民主化、アートの可能性

森のネットワークは、多様な存在がボトムアップ的に生成するコミュニケーションと、それら全体を調整しケアするマザーツリーとの連携によって成り立っている。このような森のネットワークを人間の社会に適用することはできないだろうか。

人間は加速するテクノロジーの中で、自身や社会、そして環境を制御するのが困難な状況にいる。人間の欲望がテクノロジーによって稼働され、増幅しつづけることに加え、テクノロジーが特定の人々や組織に支配され、広く人々や非人間のものになっていないからだろう。

中国出身の哲学者ユク・ホイは、「技術多様性(テクノダイバーシティ)」という概念によって、テクノロジーの民主化を提案している。そこで提唱されるのが、テクノロジーを、西洋近代に生まれた普遍性を前提としたあり方だけでなく、各文化を基盤にした「宇宙技芸(コスモテクニクス)」へと開くことである。一例として彼が依拠する中国の宇宙技芸は、自然哲学的な西洋のものと違って道徳形而上学的であり、「技術的な活動をつうじた、宇宙の秩序と道徳の秩序の統一」であるという。 その上でホイは、技術に加えて精神そして生物多様性を挙げ、また近年はアートと宇宙技芸との関係を提起している。

 

ユク・ホイ『中国における技術への問い』(ゲンロン、訳=伊勢康平 / 2022)

 

テクノロジーの民主化を牽引する第一人者としては、台湾のオードリー・タン(現:数位発展部初代部長)が挙げられる。「民主主義は、ソーシャル・テクノロジー」を掲げる彼女は、9月29日にオランダのラウリン・ウェイヤースらとつないで実施されたオンライン・インタビュー「デジタル直接民主主義とユニバーサル・ベーシック・インカム」において、台湾でのデジタルを基盤にした「コラボレーティブな民主主義」について、教育やコミュニティ・マネーにおける実践などを例に挙げつつ語った*12

 

オードリー・タン・インタビュー「デジタル直接民主主義とユニバーサル・ベーシック・インカム」(2023年9月29日)。オランダのラウリン・ウェイヤース(右から2人め)らの質問に答えるかたちで1時間半以上にわたって開催された

 

彼女は、人々のためのテクノロジー、「共同創造」「グッド・アンセスター(いい祖先になる)」など、世代や時代をつなぐコモンズの精神を持っている。その背後には、幼少時から親しんだ道教の教えや、10代で出会ったインターネット文化のアナーキーな思想が広がっている。

ホイとタンは、テクノロジーと民主主義のあり方に対して異なるスタンスを持っている。「宇宙技芸」を基盤に複数の異なるテクノロジーのあり方を提案する哲学者としてのホイ、現行のテクノロジーを多様な人々のために複数の回路へと開く実践者としてのタン。テクノロジーへのアプローチは異なるものの、両者とも、現行のテクノロジーの支配を異化し、中国古来の世界観を重んじるとともに、アートに可能性—創発のための余地や批評精神—を見出そうとする姿勢において共通している。

私は諏訪を、ユーラシア大陸とパシフィック(太平洋)との蝶番と見なしている。そしてこの地を掘り下げることで、日本の自然や文化、テクノロジーの可能性と不可能性を引き続き検討していきたいと思っている。その際に、日本やアジアの研究者や実践者、そしてアーティストたち—ホイやタンも含めて—の活動を注視し、時には連携していきたい。

森羅万象の只中で

われわれは、絶えず流れてゆく川からなる川の中の 渦巻きに他ならない。われわれは持続的に存在する物ではなく、自己持続的に存在するパターンである。——ノーバート・ウィーナー(『人間機械論ー人間の人間的な利用』みすず書房、訳=鎮目恭夫、池原止戈夫 / 1979)

20世紀半ば以降、現在に至るまで重要な概念となっている通信と制御の理論を「サイバネティクス」—社会や神経系にまで適応可能な汎用性を持つ—を1948年に提唱した数学者ウィーナーは、「フィードバック」の提唱者でもある。ウィーナーのこの言葉は、「情報のフロー」から世界を見る私にとって大切な一節だが、この世界観に共振する記述を、最新のアフォーダンス理論の研究および実践を行う哲学者、河野哲也の最近の本で発見した。

1966年にJ・J・ギブソンが発表した生態光学や生態心理学における理論「アフォーダンス」は、その後デザインやメディアアート、身体論に大きな影響を与えてきた。そして近年、より広範に生活世界や社会活動を含む研究領域へと新たな展開を遂げている。

私たちは、空気と水のはかないまとまりのある渦であり、空気の流れの中でたまさか同じ形態を一時的に維持する旋風である。インゴルドの発想をさらに進めて、私たちは、自己の存在を気象のような、海流のような存在として捉えるべきではないだろうか。——河野哲也(「ギブソンを超えて—海流的アプローチと存在即情報論」/河野哲也、田中彰吾『アフォーダンス そのルーツと最前線』知の生態学の冒険 J・J・ギブソンの継承』東京大学出版会、2023)

 

河野哲也・田中彰吾『アフォーダンス: そのルーツと最前線(知の生態学の冒険 J・J・ギブソンの継承 9)』(東京大学出版会 / 2023)

 

河野は、文化人類学者のティム・インゴルドが、アフォーダンスを評価しながらも、ギブソンが前提とする環境を固定的な世界と批判し、私たちが暮らす世界としての「ウェザー・ワールド(気象世界)」を提示したことを挙げている。インゴルドにとって人間は環境の一部であり、「内在者」として流転しているという。そして河野は、インゴルドを踏まえながら「環境と自己への気象学的・海洋物理的アプローチ」を提案している。

私は、環境のさまざまな渦のアフォーダンスを利用して、自分を変化させる。(略)私は環境中のさまざまな渦に接続することで、自らを産出していく。——河野哲也(上述書)

これはまさに、森羅万象の只中で生き、活動する内在者としての各存在を意味しているのではないか。

そしてこのような森羅万象の世界を象徴するものとして、私はサーフィンを想起する。同じ波は、2度と来ない。海の状況や風、そして天候に応じて変容しながら、生まれ押し寄せる波々……。その只中に飛び込み、波と戯れ波に乗る行為は、ダイナミックなアフォーダンスのプロセスであり、河野の言葉を借りれば「環境と自己への気象学的・海洋物理的アプローチ」といえるかもしれない。まさか実現するはずがないと、ずっとサーフィンを見なしていたが、一昨年偶然にも初心者体験をする機会に恵まれた。ボードとともに海に入り、ほんの少しだがそのダイナミズムに触れたことで、自分と世界との関係が更新された気がする。

森羅万象は、常に流動、変移しつづけている。思えば森羅万象は、日本においてはそれぞれ「いのち」を持ちながら、つながる世界—その全体がいのちでもある—と見なされてきた。21世紀の科学・技術は、AIに代表されるように人間とは何か、創造性とは何かなど、これまで自明であったものに疑問を突きつけている。同時にこれまで見えなかった、世界に存在するさまざまなネットワークや関係性を可視化しはじめている。

可視化されたものに対面することで、私たちは世界に対して能動的に関わっていくことができる。と同時に、可視化されえないものの存在を想像しつづけることが期待されている。

また現在の科学・技術自体の方法論が、西洋近代を基盤にしていることを念頭に、その有用性とともに限界を知り、オルターナティブな可能性を領域横断的に広く検討していく時期だろう。ポストパンデミックの時代において、社会は大きな転換期にある。あらゆる分野で、かつてないほど多様化が進みつつある。

近代以前に日本で培われてきた叡智を掘り下げること、そこで得たものを、科学・技術や社会に浸潤させていくこと。「人間と非人間のためのエコゾフィーと平和」を胸に、さまざまな人や存在と対話し、協働していくこと。ここでの連載は今回で終了するが、「Ecosophic Future」は終わらない。さまざまな形や現象として森羅万象の中に息づいていくだろう。

 

トーク「松澤宥と諏訪のスピリチュアリティ」のアーカイブを公開中(ゲスト:嶋田美子、ホスト:四方幸子/2023年10月27日開催「対話と創造の森」オンライントークシリーズ「諏訪・八ヶ岳を掘り下げる」第4弾)
・松澤宥作品は、2024年3月31日まで以下にて展示中。森美術館開館20周年記念展「私たちのエコロジー:地球という惑星を生きるために」
 
*1 「シカタクイクイ」の映像
*2 坂本のメッセージや資料は、以下を参照。「坂本龍一と神宮外苑を心配する
*3 山口情報芸術センター(YCAM)にあるラボ。
*4 「フォレスト・シンフォニー」は、近年山口市の常栄寺で毎年再展示が行われている。
*5 《想像上の修辞法》https://mhrs.pb.studio/imaginary_rhetoric
*6 「生誕100年 松澤宥」展(長野県立美術館) 松澤宥 生誕100年記念サイト
*7 松澤が「観念芸術」を開始したのは、「コンセプチュアル・アート」という言葉が生まれる前である。後年「日本概念芸術の始祖」と呼ばれるようになるが、コンセプチュアル・アートの潮流から距離を置き、諏訪を拠点に独自の活動をまっとうした。
*8 嶋田美子「松澤宥と諏訪のスピリチュアリズム」(『スワニミズム』第4号、2018年12月刊行)
*9 「悟りの境地に行く」という仏教用語(サンスクリット語)
*10 松澤は、1922年2月22日午前2時生まれで、数字の「2」にこだわりがあり、「2222年に人類が消滅する」と述べていた。
*11 松澤は、当時新たな展開を迎えた量子力学に興味を持ち、量子芸術を「最後の芸術」と述べていた。
*12 2023年9月29日「デジタル直接民主主義とユニバーサル・ベーシック・インカム〜創造力こそが私たちの真の資本〜」(オンライン)。2021年に私が企画に関わり実現したヨーゼフ・ボイス生誕100年を記念する2つのフォーラムの一つ「創造力という<資本>」(主催:京都府)の基調講演者であるオードリー・タンとラウリン・ウェイヤースを今年紹介し、9月29日にウェイヤースとオランダの有識者16名がオードリー・タンにインタビューを行った。ウェイヤースは、タンにボイスが提唱していた「直接民主主義」のデジタルを介した新たな可能性を感じている。

 
本連載の原稿を含む、四方幸子『エコゾフィック・アート 自然・精神・社会をつなぐアート論』(フィルムアート社)発売中!

連載Ecosophic Future
エコゾフィック・フューチャー

四方幸子(キュレーター・批評家)の連載「エコゾフィック・フューチャー」では、フランスの哲学者・精神分析家フェリックス・ガタリが『三つのエコロジー』(1989)において提唱した「エコゾフィー」(環境・精神・社会におけるエコロジー)を、ポストパンデミックの時代において循環させ、未来の社会を開いていくインフラとしての〈アート〉の可能性を、実践的に検討し提案してゆきます。
 
Planning
四方幸子|YUKIKO SHIKATA

キュレーティングおよび批評。京都府出身。美術評論家連盟会長。多摩美術大学・東京造形大学客員教授、IAMAS・武蔵野美術大学・國學院大学非常勤講師。対話と創造の森(茅野、および東京神田サテライト)アーティスティックディレクター。データ、水、人、動植物、気象など「情報のフロー」というアプローチからアート、自然・社会科学を横断する活動を展開。キヤノン・アートラボ(1990-2001)、森美術館(2002-04)、NTT ICC(2004-10)と並行し、資生堂CyGnetをはじめ、フリーで先進的な展覧会やプロジェクトを数多く実現。近年の仕事に美術評論家連盟2020年度シンポジウム「文化 / 地殻 / 変動 訪れつつある世界とその後に来る芸術」(実行委員長)、オンライン・フェスティバルMMFS2020(ディレクター)、「ForkingPiraGene」(共同キュレーター、C-Lab台北)、2021年にフォーラム「想像力としての<資本>」(企画&モデレーション、京都府)、「EIR(エナジー・イン・ルーラル)」(共同キュレーター、国際芸術センター青森+Liminaria、継続中)、フォーラム「精神としてのエネルギー|石・水・森・人」(企画&モデレーション、一社ダイアローグプレイス)、「STUDY:大阪関西国際芸術祭」2022, 2023キュレーターなど。国内外の審査員を歴任。共著多数。yukikoshikata.com

NEXTEcosophic Future 01

dialogue with audrey tang 1/2

オードリー・タンとの対話——11のキーワードで紐解くデジタル・テクノロジー・社会|前編